前回のコラムで「昔話法廷」というNHK番組を紹介しましたが、今回は「いまはむかし」というドキュメンタリー映画のご紹介です。監督の伊勢真一さんは、以前(1995年)、日本てんかん協会の親子キャンプの映画を作った時のスタッフの一人です。(私はてんかん協会のスタッフでした)伊勢さんの姪の奈緒ちゃんは小児てんかんで重い知的障害があります。奈緒ちゃんは今でも発作は止まっていませんが、元気に中年女性となっています。(私は高齢者の一歩手前!)その映画の製作は、伊勢さんのお父さんのお弟子や仲間が集まって作って下さいました。というのも、奈緒ちゃんの記録映画をつくっておられたので、そのながれで同じスタッフが受けて作ってくださいました。
私は20年位前にインドネシア・ジャカルタに数年暮らした関係で、インドネシアは他人事と思えず、奈緒ちゃんのおじさんの伊勢さんの映画だしと思い見に行きました。伊勢さんのお父さんは戦時中に3年間、ジャワ(インドネシア)で国策映画を作っておられたそうです。私はジャカルタにいたころインドネシア語の先生からロームシャという言葉の嫌な思い出話しをきいたことがありましたが、ジャワをすっかり日本にしようとしていたようです。日本軍はトナリグミで地域の組織化を図り、軍事教練も行っていたようです。伊勢さんのお父さんが作ったフイルムに生々しく映っていました。敗戦のためそれらフイルムはみられることもなく、現在はオランダの資料館に保存されているそうです。(オランダには戦時中の日本の資料がたくさん保存されているようです。文官の東さんという方がインドネシアの刑務所設計をした本もあるようです。)
伊勢さんのお父さんは終戦とともに日本に帰り、今度は「東京裁判」の記録映画を作ったそうです。映画ではいくつかの国策映画と伊勢真一さんがジャカルタの映画製作所跡地や現地高齢者を訪ね、戦時中の様子を聞いて歩く様子がまとめられています。「東京裁判」の一部分もでてきます。伊勢さんが3歳の時にお父さんは家を出られたそうです。特に語られてはいませんが、国策映画を作り、その後、国策映画を作らせた人々が裁かれる映画も作る。ご自分の立ち位置がわからなくなるということはあるかもしれません。伊勢さんのお父さんは、その後もドキュメンタリー映画をつくりつづけたそうで、いわゆる筆を絶ったわけではないようです。
沖縄戦線の話や軍事教練の話や、火垂るの墓など、高齢者一歩手前の私でも、ものの本やテレビでしか知らない戦争です。それでもか、それだけにか、伊勢さんのお父さんの自己批判的なお気持ちをかってに推測してしまいます。
古くから東南アジアには、日本人はとってもたくさん行っていたようです。なかでもインドネシアは、じゃがたらお春、サンダカン、蝶々夫人(ちょっと違いますが)、ジャワ更紗、じゃがいも(ジャカルタの芋)などなどとっても関係が深いようです。とくにゴムの会社で行っていたようで、1930年代にインドネシアで生まれたという方にたまにお会いします。福祉関係者にもたくさんおれらます。
20年前にジャカルタで、現地の福祉を支援する「ジャカルタ・ジャパン・ネットワーク」という団体を作りましたが、その団体のことが新聞に載ったことがきっかけで、インドネシアで生まれたという老婦人からご連絡をいただきました。その方に更生保護のお話をしていましたら、その方はなんと原胤明の姪御さんでした。原胤明は最後の与力といわれ、東京出獄人保護所を作った人でもあり、児童虐待の問題にも取り組んだ人です。まぁ、なんと世の中は狭い。いろんなことに手を出していると、つながっていきます。まぁ、原胤明はともかく、伊勢さんの映画はまだ見ることができます。機会があったらどうぞ、ご覧ください。(小林)