最近、認知症に関する本を2冊、読みました。いずれも認知症になった医師のことが書かれたものです。
まず、「東大教授、若年性アルツハイマーになる」若井克子著、講談社刊です。『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井 克子):介護ライブラリー|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp) 東京大学の脳外科医だった若井晋教授がアルツハイマーを発症し、58歳で早期退職し、その後について奥様が書かれたものです。発症時はご本人は不安でMRIを何枚も撮っていたり、日記に漢字の書き取りをされていたり、どん底のお気持ちだったようです。誰かの名前を思い出さないなどというのとはまったく違うもののようです。ご自分が脳の専門家であるだけに、とても怖かったと思います。とはいっても、早期退職を決意するのも、たいへん勇気がいったこととおもいます。お二人は暮らしやすいところを求めて、沖縄をはじめとして何か所か移り住まわれますが、ご出身の地におちつかれます。
まだお元気だったころに医学会新聞に対談記事が掲載されました。書籍は奥様の目から見てかかれていますが、この対談ではご本人の発言が載っているので不安がよくわかります。
若年性アルツハイマー病とともに生きる(若井晋,最相葉月) | 2009年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院 (igaku-shoin.co.jp)
つぎに、「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」長谷川和夫医師、猪熊律子読売新聞編集委員著、KADOKAWA刊。「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」 長谷川 和夫[ノンフィクション] – KADOKAWA 長谷川先生は、あの長谷川式認知症簡易スケールの長谷川先生です。NHKスペシャルで取り上げられていましたので、皆さんご存じかと思います。
内容は、認知症になってのいろいろと、認知症の説明、長谷川式スケールの開発秘話などです。余談ですが、長谷川式スケールで「野菜の名前をできるだけ多く言ってください」の項目がありますが、なぜ野菜なのだろうと疑問でした。ここは言葉の流暢性を見るためだそうです。なぜ、野菜なのかは説明がありませんでした。男性は野菜の名前が出てこないけれど、八百屋のおじさんは職業柄出てくる。これは結果に響くと、やはり疑問は残ったままです。
先の若井先生もおっしゃられていますが、どうも「確かさ」が揺らぐようです。頭がごしゃごしゃした感じになるようです。そして、具体的には道を間違える、行きなれたところでも行きつかないということが起きるようです。 NHKスペシャルも見ました。本ではデイケアはいい制度だとかかれていましたし、第一線で認知症の問題に取り組んでおられたときにはデイケアを進めておいででした。が、実際の映像では長谷川先生はデイケアに行くのを拒んでおられました。列になってボールをポンとつく競争みたいなことをやっていましたが、先生の嫌そうなお顔がとても印象的でした。
若井先生も長谷川先生もクリスチャンだったそうです。ありのままを受け入れるという思想がカミングアウトにつながったのではないかと書かれています。さらに「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔も今も連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」(「ボクはやっと認知症のことがわかった」P212)とありました。実は私自身も高齢者の仲間入りとなり、ここしばらく定年退職や介護保険の案内などが次々と押し寄せてきて、少々、ショックを受けていました。昨日から今日へと続いているのに、無理やり切られている感じです。制度は線を引いて切り離します。定義もそうです。ですが、万事はスペクトラムなのです。
この2冊を読み、ありのままを受け入れて、精いっぱい生きることをいろいろな視点で考えました。(小林)