失業給付とボランティア

 社会福祉の仕事をしていると就労支援や雇用保険、年金等々の話はよくふれることです。また、障害者関係団体やその他社会的活動をしているとボランティアとして活動に参加することはたびたびあります。例えば退職して、次の仕事に就くまで、少し時間の余裕ができたとボランティアをすると、それは失業給付の対象から外れることがあるそうです。

 私は大学生の時から障害のある子どもたちのキャンプや集会時の保育、その主催団体の事務局のお手伝いをボランティアでしてきました。ボランティアとはボランタリィ(自発的、自由意志)に活動に参加するもので、山に登るのと同じような、一つの遊びと考えていました。十字軍に参加する志願兵が語源であると理解していました。ですから、できなければできないし、選択権は自分にあり、その活動への参加は権利であり義務ではないと認識していました。当然、無償です。

 それがあるとき、有償ボランティアなるものが生まれました。障害者団体で協力者を募るために大学生に声をかけると、交通費もくれないから集めることができないと間に入って下さった教授から言われたことがあり、びっくりしたことがあります。例えば、障害者団体の活動費を集めるためのバザーをやる際のボランティアが有償でなければ集まらない、なんてことも起きることがあります。お金を払うなら、ちゃんとした仕事への対価として雇用するのがいいのですが、そこまではないから有償ボランティア、結局中途半端なこと。一番、能力のない意識の低い人が、有償ボランティアとして参加していたということがありました。

 ここまでのことは、今回書きたいことではありません。今日知ってびっくりしたのが、失業給付にボランティアがかかわってくるということです。つまり、失業保険を受けるための失業認定申告書に①就職が決まった、②会社の役員等に就任した、➂パートやアルバイト等で働いた、④自営業を開始した、⑤農業、商業等家事に従事した、⑥請け負い、委任による労務提供をした、在宅の内職や手伝いをした、⑧ボランティアをした等の日付を書かなくてはならないそうです。

 無給のボランティアであっても、4時間を超えれば就労扱いとなり申告しなくてはならないようです。ボランティアを継続するために就労する意思がない、ということを見るためにハローワークは項目として入れているのではないかとのことですが、そんなことってあるんでしょうか?阪神淡路大震災がボランティア元年と言われましたが、なにか雇用保険市場であったのでしょうか?

 収入を得なくとも4時間以上の労働をすれば、ボランティアが就労扱いとなるそうです。ボランティアなんかやってないで収入を得る仕事をしてください、ということなのでしょう。労働は国民の義務ですから。でも、雇用保険の失業等給付の保険料負担分を払っていたのにね、です。

恩師-恩人の死

 先週の土曜日の夜半に恩師ともいえる人が亡くなりました。学生時代の恩師ではないのですが、でも、学生時代からのお付き合いなので、恩師と言ってもいいのかもしれないです。大学に入り、障害のある人の運動に参加したことが今の仕事まで続いてきています。福井のド田舎から出てきた本当に何にも知らない田舎娘でしたが、活動の仲間に入り公私ともに関係し、いろんなことを教わりました。餃子の作り方から、人の活動への誘い方までです。(なんだかすごい表現ですね)

 私は小児てんかんの子どもを持つ親の会と日本てんかん協会でながらく活動をしていました。仕事にもなっていました。親の会自体が、若い親御さんで構成されていて、てんかんのことを学ぶ学習会とともにボランティア学習講座も開催していました。大学の同級生に連れられて第1回目のボランティア学習講座に参加して、そのまま目くるめく学生運動のような障害者運動の世界に入り込みました。その方のお宅に事務局があったため、大学にはあまりいかずに居候のようにお宅に存在していました。新しいプログラムを次々と展開し、そこに参加するのは本当に楽しいことでした。約45年前のことです。早稲田すぱいくはその流れで作られています。

 当時、親の会の資金がなくておこなったバザーでは、地域一帯にビラを配り、案内掲載を新聞のお知らせ欄に依頼し、いろんなところから寄せられるご寄付の品物を集めに歩きました。量が多ければリヤカーで集めに行きました。彼女は自転車に乗れないので、リヤカー組でした。リヤカーで集めた荷物を、別に借りていた集荷場にいれ、値段付けをする。お父さんたちが車でもあつめてくださり、お母さんたちが値段付けをする。バザー当日は模擬店も行う、といった昔盛んにあちらこちらで行われていた形態ですが、最盛期には古いアパート一つが埋まるくらいまで荷物を集め、少し小さいですが保育園を全室使うくらいの規模でした。このバザーは延々と続けられました。多くのメンバーがこのバザーで鍛えられ、淘汰されました。

 彼女は息子さんが生後4か月でウエスト症候群を発症し、知的障害を持つことになったのですが、重い知的障害のある子の親として、家計を支え(正規の公務員)、家事もほとんどこなす主婦として、八面六臂のスーパーウーマンでした。できないことは自転車に乗ることと、人前で話すのが苦手、くらいかなぁ。お家のことは、本当に全部担っていたようです。

 死因は心不全、家で突然倒れたそうです。救急車がきたときは、すでに手遅れだったとの事。病気知らずの方でしたから、ご本人が一番おどろいておられるのではないでしょうか。約1週間前に数年ぶりに会っていた私は、知らせのあった翌日、警察で会うまでは信じられませんでした。絶対長生きするって言ってたのに、そんな突然、行っちゃうなんて!です。社会福祉士会司法福祉委員会の活動や早稲田すぱいくの活動、何があっても事業が継続できるよう(BCP)に準備しないといけないと最後の教えでしょうか。でも、いてほしかった、もっと相談したかった。

 本当に一人で、いろんなことをこなしていた方です。この45年のことが走馬灯のように思い出されます。ご家族は大変お辛いと思います。ご冥福をお祈りいたします。(小林)

ウクライナに想う

 毎日、TVやネットのニュースで、ウクライナへロシアが攻撃している映像が流れています。今までの街並みが爆破され、人々が逃げるさまに心がつぶれる思いです。あの映像を見るといろんなことが思い浮かびます。「火垂るの墓」や「この世界の片隅に」他、私は昔から、第2次世界大戦の映像やドラマを見て育ちましたので、ウクライナのみなさんがどんなに大変な状況か想像することができます。

 私事ですが、今から約20年前、インドネシアのジャカルタに住んでいました。夫の転勤の帯同家族でした。子どもは小学校の低学年でした。アジアの経済危機の時期で、IMFがインドネシアに入り、スハルト大統領の引きずり下ろしのデモが毎日、繰り広げられている時期でした。ある日、デモに参加した学生が亡くなり、そのことがきっかけで暴動が起き、危険度が一気に4にあげられました。日本人学校の子どもたちのバスも襲われ、ケガ人はなかったのですが、学校から一晩帰宅することができないということもありました。そのこともあり、多くの外国人は帰国することとなりました。毎日、ジャカルタの空港は帰国の外国人で満員でした。自分でチケットを予約し、帰国するわけですが、どうにか予約ができ、朝から空港に向かい、出発は23時でした。一日、子どもといっしょに空港で待っていましたが、そのとき想ったのは、満州からの引き上げの人々のことでした。私たちは車で移動していましたが、満州からは皆さん、食べるものもなく、何日も歩いて港まで行ったようで、途中で子どもを現地の人に預けたということも、なんとなく理解できた気がしました。

 また、約10年前、東日本大震災で陸前高田市に支援に入りました。3月の末で、津波発生の約半月後でした。それ以降、東京社会福祉士会の有志とたびたび支援に入りました。私たちは、現地の専門職の人々と連携を取っていました。子ども支援、障害者支援、高齢者支援の3組に分かれて連携をして支援を進めていました。そこで、聞いたのは避難所に行けない障害のある子のことや精神障害のある方のこと、ひきこもり状態の家族がいる家庭のことでした。津波で問題が発生したわけではなく、その前から要支援の人々だったけれど、津波で社会基盤が崩れ、生活も崩れてしまっているのです。避難所に行くことは、やはりむずかしいことでした。阪神淡路大震災の経験から、少しずつ福祉避難所の取り組みはありましたが、それでも家を離れなくてはならず、皆さん大変な状況でした。

 今朝はウクライナの小児病院の赤ちゃんたち、つまり治療を受けるために入院している子どもたちのニュースをTVで報道していました。ウクライナでポーランドをはじめとした隣国に避難し、避難所にたどり着いた人々の映像を見て、ウクライナの障害のある人々、家から出ることができない人々はどうしているのでしょう。想像するだけで心がつぶれる思いになります。どうか一日もはやく終結することを願います。

 インドネシアで空港に向かう時、焼けくずれた高速の料金所やデパート、戦車、銃を持つ兵隊さんたちを見ました。陸前高田ではものすごい瓦礫の山と、自衛隊の給水所で水を待つ子どもたち、高速道路を隊列で走る自衛隊の車を見ました。そんな中、ジャカルタから到着して空港で食べたコンビニおにぎりがおいしくて感動、陸前高田への高速道路のトイレの便座が暖かかったので感動、でした。私の経験はちっぽけなものです。

 「海の向こうで戦争が始まる」ではないですが、少し遠い日本ですが、現地の皆さんのことは少し想像力を働かせるだけで、どんなに大変なことになっているかわかります。本当に一日もはやく戦争が終わることを願います。

出所者支援ハンドブック

 本の紹介です。本年1月に「出所者支援ハンドブック 刑事司法ソーシャルワークを実践する」掛川直之、飯田智子編著、旬報社が出版されました。掛川直之氏は東京都立大学助教で、以前にも「不安解消!出所者支援」という本を出され、支援に踏み出すことができないソーシャルワーカーの不安解消を図られたそうです。今回は民間支援者の第一人者ともいえる飯田智子さんと組まれての編集となっています。

 飯田さんは静岡県地域生活定着支援センターの第1期の職員でした。 静岡県地域生活定着支援センター の事務局で初めてお会いし、その後、東京に帰住希望の対象者さんの調整のために上京されたときや、東京社会福祉士会の連続講座に参加くださったときなどに頻繁に情報交換をしていました。静岡刑務所のソーシャルワーカーなどを経て「静岡司法福祉ネット明日の空」を設立した時は、本当にびっくりしました。弁護士事務所の後ろ盾があるときくものの、そんなで生活していけるのだろうかでした。(小さい話ですみません)

 いやいや飯田さん、大したもんです。助成金で研究事業も行っておれられますし、学会での発表も積極的にされています。今度は出版でした。下に著者一覧を付けました。司法福祉の第一線で活動されている方々です。しかも現場の方々だけでなく、研究の方々も入っています。中身は事例も入り大変読みやすくなっています。ぜひ一度、お手に取って下さい。

◆著者一覧

 *中川 英男(なかがわ ひでお)  なかがわ社会福祉士事務所所長

 *内田真利子(うちだ まりこ)   島根あさひ社会復帰促進センター社会復帰支援員

 *山田真紀子(やまだ まきこ)   大阪府地域生活定着支援センター所長

 *小熊 永枝(おぐま よしえ)   児童養護施設ケヤキホーム/一般社団法人みずたま代表理事

 *稲田由紀子(いなだ ゆきこ)   栃木刑務所分類審査室福祉専門官

 *福田 和洋(ふくだ かずひろ)  障害者支援施設菊川寮施設長

 *坂東  希(ばんどう のぞみ)  大阪大学人間科学部特任講師

 *田中 綾子(たなか あやこ)   豊田加茂児童・障害者相談センター児童福祉司

   *飯田 智子(いいだ ともこ)   認定特定非営利活動法人静岡司法福祉ネット明日の空代表理事

 *関 夕三郎(せき ゆうざぶろう) 石原・関・猿谷法律事務所/弁護士

   *掛川 直之(かけがわ なおゆき) 東京都立大学人文社会学部助教

 *菱田 泰信(ひした やすのぶ)  静岡地方裁判所沼津支部判事

 *深谷  裕(ふかや ひろい)   北九州市立大学地域創生学群教授

 *久保田邦子(くぼた くにこ)   一般社団法人社会支援ネット・早稲田すぱいく/社会福祉士・精神保健福祉士

 *我藤  諭(がとう さとし)   龍谷大学矯正・保護総合支援センター嘱託研究員

 *青木 志帆(あおき しほ)    明石市役所/弁護士・社会福祉士

 *橋本 恵一(はしもと けいいち) 特定非営利活動法人ささしまサポートセンター/博愛の宿規俊荘管理者

認知症に関する書籍、2冊。

 最近、認知症に関する本を2冊、読みました。いずれも認知症になった医師のことが書かれたものです。

まず、「東大教授、若年性アルツハイマーになる」若井克子著、講談社刊です。『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井 克子):介護ライブラリー|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp) 東京大学の脳外科医だった若井晋教授がアルツハイマーを発症し、58歳で早期退職し、その後について奥様が書かれたものです。発症時はご本人は不安でMRIを何枚も撮っていたり、日記に漢字の書き取りをされていたり、どん底のお気持ちだったようです。誰かの名前を思い出さないなどというのとはまったく違うもののようです。ご自分が脳の専門家であるだけに、とても怖かったと思います。とはいっても、早期退職を決意するのも、たいへん勇気がいったこととおもいます。お二人は暮らしやすいところを求めて、沖縄をはじめとして何か所か移り住まわれますが、ご出身の地におちつかれます。

 まだお元気だったころに医学会新聞に対談記事が掲載されました。書籍は奥様の目から見てかかれていますが、この対談ではご本人の発言が載っているので不安がよくわかります。

 若年性アルツハイマー病とともに生きる(若井晋,最相葉月) | 2009年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院 (igaku-shoin.co.jp)

 つぎに、「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」長谷川和夫医師、猪熊律子読売新聞編集委員著、KADOKAWA刊。「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」 長谷川 和夫[ノンフィクション] – KADOKAWA 長谷川先生は、あの長谷川式認知症簡易スケールの長谷川先生です。NHKスペシャルで取り上げられていましたので、皆さんご存じかと思います。

 内容は、認知症になってのいろいろと、認知症の説明、長谷川式スケールの開発秘話などです。余談ですが、長谷川式スケールで「野菜の名前をできるだけ多く言ってください」の項目がありますが、なぜ野菜なのだろうと疑問でした。ここは言葉の流暢性を見るためだそうです。なぜ、野菜なのかは説明がありませんでした。男性は野菜の名前が出てこないけれど、八百屋のおじさんは職業柄出てくる。これは結果に響くと、やはり疑問は残ったままです。

 先の若井先生もおっしゃられていますが、どうも「確かさ」が揺らぐようです。頭がごしゃごしゃした感じになるようです。そして、具体的には道を間違える、行きなれたところでも行きつかないということが起きるようです。 NHKスペシャルも見ました。本ではデイケアはいい制度だとかかれていましたし、第一線で認知症の問題に取り組んでおられたときにはデイケアを進めておいででした。が、実際の映像では長谷川先生はデイケアに行くのを拒んでおられました。列になってボールをポンとつく競争みたいなことをやっていましたが、先生の嫌そうなお顔がとても印象的でした。

 若井先生も長谷川先生もクリスチャンだったそうです。ありのままを受け入れるという思想がカミングアウトにつながったのではないかと書かれています。さらに「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔も今も連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」(「ボクはやっと認知症のことがわかった」P212)とありました。実は私自身も高齢者の仲間入りとなり、ここしばらく定年退職や介護保険の案内などが次々と押し寄せてきて、少々、ショックを受けていました。昨日から今日へと続いているのに、無理やり切られている感じです。制度は線を引いて切り離します。定義もそうです。ですが、万事はスペクトラムなのです。

 この2冊を読み、ありのままを受け入れて、精いっぱい生きることをいろいろな視点で考えました。(小林)

 

若手保護司オンラインフォーラム

 更生保護の分野では新しい取り組みが次々おきているようです。「更生保護」誌2022年2月号に、各地方における若手保護司オンラインフォーラム開催の記事がありました。保護司は明治からの長い歴史があります。定年があって75歳までとなっています。都道府県区市町村に保護司会があり、地域で組織される形になっています。

 どうしても一定以上の年齢の方が多くて定年の人は増える現象、つまり保護司の数の減少と高年齢化に、保護局も苦慮しています。そんな中、すでに保護司で、おおむね45歳未満・保護司経験4年以上の方々で、保護司活動や制度の在り方について意見交換をしたそうです。昨年はYoutubeにも、若い関係者と局長の対話がアップされました。

 私が所属するのは江戸川区保護司会です。江戸川区保護司会にも若い方がおられます。彼は昔、やんちゃだったそうで、少年院の経験をもとに、非行少年の親の会「あめあがりの会」の理事もされていますし、保護司もご自分から保護観察所に立候補をして就任したそうです。さらに、江戸川区保護司会の機関誌でご自分の経験をカミングアウトされました。東京社会福祉士会・司法福祉委員会の勉強会でもお話しいただきました。率直にご自分の過去と思いをお話しくださいました。その昔「あめあがりの会」=非行少年の親の会を知った時にびっくりしましたが、自分のやんちゃだった過去をカミングアウトして保護司になるのにも感銘を受けました。(非行・犯罪関係の当事者のあつまりにはセカンドチャンスとマザーハウスが積極的に活動をしています。)当事者活動が増えてきたということでしょう。

 若手保護司オンラインフォーラムは、全国8ブロック、93人の若手保護司が参加しての開催だったそうです。結構な数の方がいらっしゃるのですね。参加者からの意見は、①活動をする上での負担や不安を軽減するための方策、②活動する環境を確保、または改善するための方策、➂社会的認知度を向上させるための方策、④幅広い世代・分野から多様な人材を確保するための方策に分けてまとめられていますが、いずれもそのとおりと思う内容でした。内容をお知りになりたい方は早稲田すぱいくにご連絡ください。アドレスはoffice@waseda-spike.jpです。

 社会福祉士や心理士など専門職も保護司を受任していますが、いままでの古い体質の保護司会ではなかなか言えなかったことが挙げられていてうれしかったです。今まで、保護司会に行くと古い時代の嫁のような感じ(?)がしていましたが、なんだか、新しい時代が来るような期待感いっぱいです。こうして時代が変わっていくのでしょう。保護局の積極的な活動にも敬意を表したいと思います。もう「前例がないから」ということばを聞かないで活動ができることを願います。

実は身近なこと

 新型コロナウイルス感染問題がすでに3年目になりました。2020年の1月頃から日本でも広まり始め、世界中で大変な状況になりました。東京社会福祉士会司法福祉委員会でも、毎年年度末(2月から3月)に行う「司法福祉公開講座」を中止せざるを得ませんでした。会場の早稲田大学が閉鎖となったためです。そのころはまだ、こんなに大変なことになるとは考えてもいませんでした。卒業式や入学式ができるできないと言っているうちに緊急事態宣言になり、世の中がかわりました。

 会議も集まって行っていましたが、一変して、Zoomなどのオンラインでの集まりに移ってきました。司法福祉委員会も約半年間、委員会をお休みして、後半はZoomでの開催になりました。そのほかの研修も同様です。半年前には見たことも聞いたこともなかったZoom、今は自分でミーティングをスケジュールして開催しています。夜遅くまで外にいることもなく、自宅で会議ができて、終了したら本当に終了です。時には会議と研修と同時に参加したりして・・・なんと便利なと感心します。ただ、実態がなく、生感がないので、関係が希薄になる感じがします。終了後や会議の間のお話や、参加者のロビー会話、名刺交換がなく、さっぱりしたもので、不安になります。旅行や余暇活動も希薄になり、気が抜けない感じがします。

 そんなこんなでしたが、2年目の昨年はワクチン接種も進み、昨年末には感染者数も減り、このまま終息になるのではないかという感がありましたが、新種が出てきて、すごい勢いで感染者数が増えています。昨年とは倍以上の増え方です。昨年までは、ワクチン接種みしましたし、マスク、うがい、手洗いもしていましたが、家族にも、職場にも感染者はほとんどいませんでした。が、新種では身近かで感染者、濃厚接触者が発生しています。いまさらですが、とても近くに感じています。新型コロナ感染問題はテレビのニュースだけでなく身近なことだったのです。

 司法福祉の仕事をしていると、DVや依存、精神疾患からの事件など家庭内でおきた事件に多く接します。生活歴や家族歴、日頃のご様子などを聞いていますと、毎日のように繰り返されて、事件になってきているようです。虐待事件でも思いますが、今もどこかのご家庭で、緊張の走るやり取りが展開されて、誰かが怒り、誰かが泣いているのかもしれないのです。

 かつて、日本てんかん協会の事務局で仕事をしていた時、「今、てんかん発作で苦しんでいる人のことを考えろ」と言われたことがあります。てんかんでも赤ちゃんの点頭てんかんは、シリーズで発作をおこし、それも日に何回とくりかえします。そのことを考えると 「今、てんかん発作で苦しんでいる人のことを考えろ」 ですが、なんとご無体なと少し思っていました。

 身近にいないとそんな問題があるとは気が付きませんが、実は身近にいろんなことがおきているのですね。専門職でありながら、こんな当たり前のことに今更気付くとは、まったくお恥ずかしいことです。

 

保護司を扱ったドラマ

 ここしばらく保護司を扱ったドラマがつづいています。NHKBSの「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」、wowowの「前科者ー新米保護司・阿川佳代ー」、映画「前科者」(2022年1月28日全国ロードショー)です。2時間ドラマで、ときおり保護司が主人公になるストーリーはありましたが、こんなに見ごたえのあるドラマとして取り上げられるのは珍しいのではないでしょうか。

 wowowに加入していないので「前科者 ー新米保護司・阿川佳代ー」 は観ることができないのですが、 NHKBSの「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」 は、8回すべて観ました。深谷善輔さんは元高校教師。同じ教師だった先輩保護司から推薦されて保護司になったという設定です。ドラマ全体の中心対象者はひきこもりの息子さんを殺したおかあさん。他に殺人、万引き累犯の方々が対象者として出てきます。いかにも再犯しちゃいそうな場面だったり、マスコミが記事にするために動いたり、観ていてなかなかつらいドラマでした。

 ネットに 深谷善輔さん 役の舘ひろしさんのインタビュー記事がありました。いろいろと書いてありましたが、一番気になったのが『今回は「とにかくかっこよくならないように」ということも意識した。』という一文で、保護司はかっこよかったらいけないのかと思いました。「西部警察」の石原軍団と比べたらそうかもしれませんが・・・。

 もう一つの 「前科者ー新米保護司・阿川佳代ー」 は観ていないのですが、コミックが出ていて、親切に事務所に5巻までおいていってくださった方がいるので、あるだけ読みました。こちらの設定が少し不思議ではあるのですが、ドラマや映画はけっこうおもしろいのではないかとおもいます。 

 いずれのドラマにもお決まりの、大きな事件があり対象者が再犯を疑われて逃げてしまうのですが、今回のドラマたちでもお約束のように出てきます。ただ、「前科者」のコミックでは薬物事件の人が葛藤するところはありますが、再犯を疑われて逃げるといった場面はなく、人間関係が面白いです。少年事件にならないよう未然に関係するという場面もあり、「家裁の人」を思い出しました。「家栽の人」は家庭裁判所の判事が主人公のコミック・ドラマです。そういえば、家裁調査官が主人公のドラマ「少年たち」もシリーズで続けられたドラマでした。

 ともかく、今回の保護司を扱ったドラマでは、更生、生きなおしといった言葉が再三出てきます。私自身も保護司ですが、なんとも面はゆい。そんなに力が入ったら、長くやれないだろうな、とも思った次第です。ついでに、保護観察官は特徴の無い良い人な感じになっています。「前科者」では北村有起哉さんがオーラを消したさっぱりとした顔つきになっているのがなんとも楽しいです。

東京スカイツリー

 私、小林は東京メトロ東西線を利用しています。冬の太平洋側は空気が澄んで、遠くまでよく見えます。日本海側は大雪でたいへんですが、申し訳ないくらいに富士山も、東京スカイツリーもよく見えます。ということで、西船橋方面から都心に向かって東西線に乗っていると、荒川・中川を渡る鉄橋に差し掛かると東京スカイツリーが見えます。今朝もよく見えました。

 東京スカイツリーは墨田区押上にあります。更生保護施設の実華道場・ステップ押上も押上駅のそばにあります。ずいぶん前、まだ東京スカイツリーが建築途中のころ、ステップ押上げを訪問させていただきました。施設の中や利用者の皆さんのご様子などをご説明いただき、館内を見学させていただきました。食堂や浴室、洗濯場等々と可能な皆さんの居室もです。

 ステップ押上はたしか5階建てのビルで、屋上に上がると展望がすてきでした。その屋上から建設中の東京スカイツリーが見えました。建設中の工事現場なのですが、私が「近くに大きな工事現場があって、ここの利用者の人も雇用してもらえますね」といいますと、案内してくださっていた森山施設長が「あそこは優秀な作業員の人しか働けず、ここの利用者は無理ですね」とのお返事でした。

 実は、我が夫は建築関係の仕事で、レインボーブリッジや瀬戸大橋といった大きな建造物建設の関係者でした。さっそくその話をすると、さも当然のように、あのような巨大な現場は、鳶さんのエリートさんが採用されるということを教えてくれました。まさに、NHKのプロジェクトXに出てくるような歴史的な巨大構造物は同じで、吊り橋の作業について(夫は吊り橋の専門家)説明を受けました。

 司法福祉の対象者が持っている資格に「玉掛け」がよく出てきますが、その玉掛けひとつとっても違うことを教えられました。万が一の時には大惨事になるので、優秀な鳶さんやオペレーターが必要になるそうです。高いビルの建築ですと、クレーンを操作する人は下の様子が見えず、玉掛けの職人さんのコントロールで機材を上げ下げします。阿吽のやり取りが交わされるそうです。その視点で工事の現場を見ると納得です。(テレビでやってますよね、また、マンションの大規模修繕で直に見ることもできます)更生保護施設の利用者でも、優秀な鳶さんはおいでになるかもしれませんが、たぶん東京スカイツリーの仕事をゲットできるチャンスは少なかったかもしれません。大手の建設会社が受注しての工事だったからです。

長崎刑務所の新しい取り組み

 長崎新聞には障害や高齢などの福祉的支援の必要な受刑者のことや、その問題に関連する記事がたびたび掲載されます。昨年7月には、長崎新聞主催で林検事総長と荒日弁連会長、村木元厚生労働省事務次官を招き、南高愛隣会顧問だった故田島良昭氏との4人のシンポジウムを開催しました。やはり、南高愛隣会が地元にあり、障害や高齢などの福祉的支援の必要な受刑者等についての問題意識が高いのでしょうか。

 その長崎新聞の2021年12月25日号に「知的障害受刑者再犯防止 出所見据えモデル事業 長崎刑務所で50人規模 来年度から5ヵ年計画」という記事がありました。法務省は長崎刑務所に九州・沖縄の刑務所から知的障害(疑い含む)のある受刑者を50人規模で集め、出所後の福祉的支援も見据えた一貫型の処遇をするモデル事業を2022年度に始める方針を明らかにした、というものです。

 以下、長崎新聞の記事を原文のまま掲載します。

  知的障害のある受刑者を巡っては、罪を繰り返す「累犯障害者」の問題が指摘されており、モデル事業は再犯を防ぐ狙い。同刑務所は「軌道に乗せ、一つの支援モデルとなる枠組みをつくるため、職員一丸となって取り組みたい」としている。
 同省矯正局によると、モデル事業は22年度から5カ年を計画。効果を検証し全国展開のあり方を検討していく考え。政府が同日、閣議決定した同年度予算案に関連予算約2千万円を盛り込んだ。
 専門的な知見やノウハウを持つ福祉事業者や自治体と連携し、特性に応じた処遇計画を立て、所内で生活安定に向けた教育・指導や社会復帰を支援。療育手帳の取得を促進し、出所時に「息の長い寄り添い型の福祉サービス」(同局)につなげる体制を構築する。22年4月以降に事業者の選定を進め、同年中の事業の本格実施を目指す。
 同局が20年度に実施した特別調査では、全国の受刑者約4万人のうち知的障害(疑い含む)のある受刑者は1345人。このうち療育手帳を取得しているのは414人だった。
 長崎刑務所は19年4月、高齢や知的障害のある受刑者の特性に応じた処遇を実践し、社会復帰を支援する部門を新設。認知症傾向の高齢受刑者を九州内の刑務所から集めて処遇する取り組みを既に始めており、22年度は35人規模を予定する。知的障害受刑者の再犯防止 出所後見据え、モデル事業 長崎刑務所で50人規模 来年度から5カ年計画 | 長崎新聞 (nordot.app)

 長崎刑務所は、2019年度より高齢受刑者の増加を受け専門部署「社会復帰支援部門」を全国発で立ち上げ、九州の刑務所より対象者の移送を受けているそうで、認知症傾向の高齢受刑者に独自の処遇プログラムを施し、再犯防止を模索しているとのことです。社会復帰支援部門の重視がすすみ、以前は公平性の観点から「集団処遇」として同じ処遇がルールだったのですが、一律に同じ懲役作業をさせても能力等でできないことがあり、個々の特性に応じた「個別処遇」を行うことに意味があるとなったそうです。この取り組みに関しても、長崎新聞で「刑のゆくえ」という連載記事があり、第1部は「老いと懲役」として8回シリーズで取り上げられています。刑のゆくえ | 長崎新聞 (nordot.app)

 法務省矯正局成人矯正課には「社会復帰支援指導プログラム」というものがあります。2017年より全国で取り組まれていますが、その前より、刑務所ごとにユニークな取り組みがなされており、東京社会福祉士会では府中刑務所の取り組みを見学させていただいていました。全国向けに作った「社会復帰支援指導プログラム」はいくつかの刑務所が始めたこともあり、バラバラではなく標準プログラムを作り、全国でとりくみましょうということでした。しかし各刑務所の方が独自の手法を取り入れ、標準プログラムをこえているようです。

 このように長崎刑務所だけでなく、各刑務所で必要に応じて、今までのような一辺倒ではない取り組みが行われています。ちなみに刑法も変わるようで、懲役と禁錮を一本化して「拘禁刑」とする方向だそうです。1907年の刑法制定以来はじめてだそうです。このニュースは、全国紙でも取り上げられていました。