知的障害のあるひとの犯罪におもう

 先日、軽度といっても中度に近い知的障害のかたの判決がありました。その人は少し大きな傷害事件を起こしました。以前も傷害事件で実刑になっていましたので、今回は少々長い実刑が言い渡されました。裁判中、障害であることで支援を受けることは拒否をされていました。本人の供述が変わり、事件直後に自分からやったと言ったにもかかわらず、やらなかったとかえてしまい、弁護士は大変苦慮されたようです。

 この方は前刑の時にご家族からご相談を受けていました。熱心なご家族で、障害基礎年金のことや、出所する際に特別調整を希望すると地域定着支援センターにつながることができるなどの情報提供をしました。その時の事件は家族に対する傷害でしたので、ご家族は恐れて身元引受はできず、施設で懲罰があったのか、満期出所でした。それでも、年金はある程度たまっていましたし、ご家族が借りたアパートに入るということで、こちらへの相談はなくなりました。障害の程度は、支援なく一人で社会で生きるには重いのですが、本人も家族も障害を受け入れることは難しかったようです。粋がって職を探すのですが、うまくいかず、一人ぼっちの生活の中で他者と諍いが起きるようになり、今回の事件となったようです。

 社会福祉士を長くやっていると、何度も何度もお会いする方、ご家族がいます。ある人は小学校で出会い、中学校の時に調整をいろいろと行いました。その後、保護観察所で再会し、成年になって大人の事件でまたまた再会ました。この間、10年弱。彼が調整されて関係した専門機関は10くらいありますが、行った先で問題が起きると自宅に戻ります。「問題が起こりました」か「出所します」か、なにかそこにいることができなくなって、「迎えに来てください」となります。家族は受け入れ続けます。

 単なる無能なコーディネーターの愚痴なのですが、あの時、どうしたらよかったのだろうと考えてしまいます。

 Sさんは中度の知的障害の方で、数十年ホームレスをしていました。前科はないのですが、前歴がたくさんありました。たびたび、社会につなぐ支援をしました。いくつかの法人のサポートをうけ、最後、郊外の救護施設に行くことができました。救護施設の新しい生活は放浪することはありませんでしたが、ちょっと盗っちゃうことがありましたが大したことにならず、法人がフォローしてくださいました。そのたびに法人から連絡が入り、お団子やケーキを持って訪ねていき、もめごとにはふれず最近の調子をきいて帰ってきました。その法人は「こんなことがありました」というだけです。当初は昔の知り合いの名前が出ていましたが、それもなくなっていき、もう2年ほど施設から連絡が来ません。すっかり定着してくださったようです。時にはこのようなケースもあり、「Sさん、ありがとう」と思ってしまいます。(小林)

 

 

南高愛隣会 故 田島良昭さんの思い出

 今月7日に、南高愛隣会の故 田島良昭元理事長の偲ぶ会が、長崎県島原市でありました。偲ぶ会には、最高検の林検事総長や若草プロジェクトの村木厚子さん等々、800人を超える方々が参加されました。この様子は南高愛隣会のホームページやテレビ長崎、遠く北海道新聞、新潟日報などに掲載されています。

「故 田島 良昭顧問を偲ぶ会」参列のお礼 | 社会福祉法人 南高愛隣会 (airinkai.or.jp) 司法と福祉の架け橋として 南高愛隣会 田島 さんを偲ぶ会|ニュース|KTNテレビ長崎

 私は障害児教育(知的障害)を学んだことがきっかけで、小児てんかんの子どもを持つ親の会(現:日本てんかん協会)に関係しました。そこで、当時親の会の事務局長だった松友了さんと知り合い、親の会ーてんかん協会の活動にどっぷりはまっていきました。その松友さんのてんかんのある息子の岳さんが成長して入所したのが南高愛隣会でした。本コラムで松友さんが、8月9日付け「巨星墜つ」で、田島さんと松友さんの関係と思い出、追討を書いてくださっています。

 松友 岳さん(現在50歳)の保育園のお迎えのボランティアでもあった私は、松友 了さんと45年くらいのお付き合いをしています。小児てんかんの子どもを持つ親の会、日本てんかん協会、全日本手をつなぐ育成会と松友さんがお仕事をされるところで、全面的だったり一翼だったり関係してきました。田島さんが厚生労働科学研究で「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究」を行われ、その実践として「地域生活定着支援センター」を作る前に、「罪を犯した障害者の地域移行支援に係る職員の養成研修プログラムの開発に関する研究」を、厚生労働省「障害者保健福祉推進事業」で行うこととなりました。(2007年・2008年)そのために南高愛隣会・東京事業本部を松友さんが担うこととなり、私もその事務局員としてお手伝いをすることになりました。2006年12月に田島さんが東京の定宿にされていた新橋の第1ホテルアネックスのロビーで、松友さんに連れられて初めてお会いしました。

 それから基本の研修を企画したり、実際、日本各地で研修会を行ったりで、その当時理事長であった田島良昭さんとたびたびご一緒しました。そこで、なぜ田島さんが障害者問題をはじめたか、議員秘書としてアメリカに行かれたこと、米沢藩のながれをくむおばあさまに育てられたこと、・・・たぶん多くの方も聞かれたであろうお話を私も伺いました。この2年間はほんとうにあちらこちらに出張をし、いろんなお話を伺いました。地域生活定着支援センターつくりの布石で、今は亡き副島洋明弁護士ともご一緒しました。北九州の奥田さん、ダルクの近藤さん、龍谷大学の浜井先生等々、この時の報告書を見ていますと、現在の活動の基本となった関係者の皆様のお名前が次々と出てきます。それまで「てんかん協会」だった私も、今は保護司ですし、「東京地検」の社会福祉アドバイザーですし、東京社会福祉士会 司法福祉委員会委員長、とすっかり「司法福祉」です。

 田島さんの思い出は先にも書きましたとおりたくさんありますが、なんといっても、荷物を持って下さったことです。移動の際に研修のための材料をいれたキャリーバックでもたもとしていますと、キャリーバックを持って下さり大変恐縮した経験がすくなからずあります。これはうれしかったです。また、社会福祉士会と弁護士会で協働で行っている入口支援の取り組みについて、現状を飲み会の席で訴えたのですが、長時間よく聞いてくださったのです。昨日のことのように思い出されます。笑った時のお顔とともにおもいだされます。(小さなことですみません)

 こんなに早く逝かれるとは思ってもいませんでした。ご相談したいことがまだまだありました。そして、私が「司法福祉」の現場にいられるのは田島さんのおかげと思っています。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。  小林

BPSモデル

 昨今、BPSモデルという言葉をたびたび聞きます。BとはBio-生物、PとはPsycho-心理、SとはSocial-社会です。しかし、これは決して、すっごく新しいことではなく、1977年に精神科医のジョージ・エンゲルが、生物医学モデルになり代わる新しい医学観*として発表されたもののようです。

*(The Need for a New Medical Model: A Challenge for Biomedicine, Science,New Series, Vol. 196, No. 4286 (Apr. 8, 1977), 129-136.)

 山口県立大学の水藤昌彦先生が、国立重度知的障害者総合施設のぞみの園の「理論と実践で学ぶ知的障害のある犯罪行為者への支援」*(2017年5月発行 P10-14)のなかで、生物・心理・社会(BPS)モデルによるアセスメントをたいへんわかりやくす解説くださっています。

 このBPSモデルは先にも書きました通り精神医学から出てきていますので、発達障害のある人のトラウマ(含む複雑性PTSD)の研修会他でもよく出てきますし、東京北医療センターのホームページでもロールキャベツをバックに解説が掲載されています。(話が他へ逸れますが、「ロールキャベツ系ワクワク総診」(見た目は草食系で中身は肉食系)についてホームページでおいしそうな写真とともに語られています。ロールキャベツ系ワクワク総診とは 東京北総診 東京北医療センター総合診療科 (tokyokita-resident.jp) あの北療が、と感慨深く覗きました。)

 今回、このBPSモデルについて書こうと考えたのは、カンファレンスの必要性について雑談的に話す機会があったからです。ある特定の人のカンファレンスを開いてどうなるのかを説明していました。水藤先生のご説明をもとに語っていた時、おぉと気づきました。

 犯罪お悩みのご相談を受けていると、罪を犯した障害のある人の地域生活支援について、特効薬のような回答を求められることがあります。しかし、そのような特効薬はありません。その人をつまみ出す方法を求められることもあります。それではかつての福祉施設化した刑務所や社会的入院が横行していた精神医療に戻ってしまいます。特効薬ではなく、その対象となる人の、その事件に至るB「生物的要因」、P「心理的要因」、S「社会的要因」を確認し、アセスメントを行い、現状で関係する人々に集まっていただき、ご本人の求める、納得される支援体制を組んでいくことが必要-有効のようです。(納得されないと再発しますから) 

 多職種連携といいますが、その人をめぐる多職種や関係者が状況を持ち寄り、支援の在り方を作るのが良いようです。特に地域生活では必須なのだとおもいます。行政や支援センターだけでなく、民生委員、町内会、コンビニやスーパーの人、時には牧師さん、お寺さんもいるかもしれません。その人を排除するのではなく、その人がこの地域にいるためにはどうしたらよいかを、観念的にではなく、BPSのエビデンスを持って展開していく、そして全体を調整、コーディネートしていく、その中心がソーシャルワーカーなのでしょう。そしてこの考え方が、CBRなのだと思います。(CBR=Community based Rehabilitation このお話はまた今度)

 障害のある子・人や認知症の方の問題にかかわっていて、以前は「困った人は困っている人」というキャッチフレーズでの取り組み・考え方が紹介されていました。少しまえからは「多職種連携」がいわれていますが、具体的になぜ、どう多職種連携で、それで何がどう解決するのかが雲がかかったようでした。(少なくとも私は) 今回、すこし雲が薄くなった気がします。しかし、司法福祉のとりくみでコーディネートをする刑事司法ソーシャルワーカーの多くには権限がなく、どうにかボランティアではなく働けるように、うまい制度ができるようにしていかなくてはと思います。(小林)

ねほりんぱほりん

 先日、NHKの「昔話法廷」をご紹介しました。またまた、NHKの番組を紹介です。「昔話法廷」はホームページでいつでも視聴することができるのですが、今回ご紹介する「ねほりんぱほりん」はオンデマンドというのを利用しないと過去のものを見ることができないので、ご紹介しませんでした。ところが、今日(2021.10.8)から「シーズン6」が始まるそうなので、ご紹介します。

 この番組は司会進行の2人がモグラの人形で、ゲストは顔出しNGでブタの人形、ディレクターはカエルさんで進められます。ゲストにいろいろと話してもらうトーク番組なのですが、ゲストがすごいです。ビックリです。

 例えば、「わが子を虐待した人」「児童相談所職員」「元ヤミ金」「戸籍のない人」「LGBTカップル」「”LGBT”カップルの子ども」「養子」「元詐欺師」(エピソード – ねほりんぱほりん – NHK ねほりんぱほりん – Wikipedia)等々です。ホストクラブにはまっている人もありました。はんぱじゃない経験の人が出てきて、その世界を赤裸々に語ってくれます。それがブタさんなので、うまくオブラートに包まれます。声はご本人の声を変声機をつかっているので変わっています。この、ブタさんが上手で、人形なのに迫ってくるものがあります。

 進行のモグラの二人は率直な突っ込みをいれるので、さまざまな状況がわかります。このような表立てない問題を取り上げるのに、人形劇を使うとは・・・NHKやるなぁ、と思いました。各シーズン12回以上があり、60以上の、あまり表では話せない話題をとりあげています。中には「占い師」や「宝くじ1億円当選者」「羽生結弦で人生が変わった人」なんていうのもあります。しかし、犯罪に関係した人々も登場します。その赤裸々なおはなしが、感慨深いです。

 今日から始まる「シーズン6」は毎週金曜日午後10時より10時半、Eテレです。第1回目の今日は「女子刑務所にいた人 前編」で、来週10月15日(金)は「女子刑務所にいた人 後編」です。毎回、いろんな人がゲストでお話をしてくださいます。NHKのホームページでは今シーズンは、まだ2回分しか内容が案内されていませんが、私は期待しています。なお、私は決してNHKの関係者ではありません。日曜午後のフジテレビのドキュメンタリーも見ます。(小林)

ねほりんぱほりん – NHK

いまはむかしー父・ジャワ・幻のフィルム

 前回のコラムで「昔話法廷」というNHK番組を紹介しましたが、今回は「いまはむかし」というドキュメンタリー映画のご紹介です。監督の伊勢真一さんは、以前(1995年)、日本てんかん協会の親子キャンプの映画を作った時のスタッフの一人です。(私はてんかん協会のスタッフでした)伊勢さんの姪の奈緒ちゃんは小児てんかんで重い知的障害があります。奈緒ちゃんは今でも発作は止まっていませんが、元気に中年女性となっています。(私は高齢者の一歩手前!)その映画の製作は、伊勢さんのお父さんのお弟子や仲間が集まって作って下さいました。というのも、奈緒ちゃんの記録映画をつくっておられたので、そのながれで同じスタッフが受けて作ってくださいました。

 私は20年位前にインドネシア・ジャカルタに数年暮らした関係で、インドネシアは他人事と思えず、奈緒ちゃんのおじさんの伊勢さんの映画だしと思い見に行きました。伊勢さんのお父さんは戦時中に3年間、ジャワ(インドネシア)で国策映画を作っておられたそうです。私はジャカルタにいたころインドネシア語の先生からロームシャという言葉の嫌な思い出話しをきいたことがありましたが、ジャワをすっかり日本にしようとしていたようです。日本軍はトナリグミで地域の組織化を図り、軍事教練も行っていたようです。伊勢さんのお父さんが作ったフイルムに生々しく映っていました。敗戦のためそれらフイルムはみられることもなく、現在はオランダの資料館に保存されているそうです。(オランダには戦時中の日本の資料がたくさん保存されているようです。文官の東さんという方がインドネシアの刑務所設計をした本もあるようです。)

 伊勢さんのお父さんは終戦とともに日本に帰り、今度は「東京裁判」の記録映画を作ったそうです。映画ではいくつかの国策映画と伊勢真一さんがジャカルタの映画製作所跡地や現地高齢者を訪ね、戦時中の様子を聞いて歩く様子がまとめられています。「東京裁判」の一部分もでてきます。伊勢さんが3歳の時にお父さんは家を出られたそうです。特に語られてはいませんが、国策映画を作り、その後、国策映画を作らせた人々が裁かれる映画も作る。ご自分の立ち位置がわからなくなるということはあるかもしれません。伊勢さんのお父さんは、その後もドキュメンタリー映画をつくりつづけたそうで、いわゆる筆を絶ったわけではないようです。

 沖縄戦線の話や軍事教練の話や、火垂るの墓など、高齢者一歩手前の私でも、ものの本やテレビでしか知らない戦争です。それでもか、それだけにか、伊勢さんのお父さんの自己批判的なお気持ちをかってに推測してしまいます。

 古くから東南アジアには、日本人はとってもたくさん行っていたようです。なかでもインドネシアは、じゃがたらお春、サンダカン、蝶々夫人(ちょっと違いますが)、ジャワ更紗、じゃがいも(ジャカルタの芋)などなどとっても関係が深いようです。とくにゴムの会社で行っていたようで、1930年代にインドネシアで生まれたという方にたまにお会いします。福祉関係者にもたくさんおれらます。

20年前にジャカルタで、現地の福祉を支援する「ジャカルタ・ジャパン・ネットワーク」という団体を作りましたが、その団体のことが新聞に載ったことがきっかけで、インドネシアで生まれたという老婦人からご連絡をいただきました。その方に更生保護のお話をしていましたら、その方はなんと原胤明の姪御さんでした。原胤明は最後の与力といわれ、東京出獄人保護所を作った人でもあり、児童虐待の問題にも取り組んだ人です。まぁ、なんと世の中は狭い。いろんなことに手を出していると、つながっていきます。まぁ、原胤明はともかく、伊勢さんの映画はまだ見ることができます。機会があったらどうぞ、ご覧ください。(小林)

 いせフィルム 伊勢真一監督 公式サイト – いせフィルム 伊勢真一監督 公式サイト (isefilm.com)

昔話法廷

 NHKは時々、びっくりするような番組を作っています。あるときネットで知って、ついつい全部見てしまったのが「昔話法廷」という、小学校4年生から高校生までを対象とした番組です。多くの日本人が知っている昔話を法廷で裁くというものです。昔話を題材に、裁判員裁判になっています。検事と弁護人がいて、被告人がいて、証人がいます。物語(一つの事件)を、いろんな角度から見ていきます。

 例えば、お菓子の家のヘンゼルとグレーテル。ヘンゼルとグレーテルは貧しい木こりの子どもですが、食べ物がなくなったということで、継母にいわれた父親によって森の奥にすてられます。(児童虐待ですね)ふたりは森の奥のお菓子の家にたどり着き、その家の魔女につかまり、食べられそうになったところを、機転を利かせて魔女をやっつけて、ついでにお宝を持って家に帰ります。継母は亡くなっており、父親と楽しく暮らしました。というお話です。

 「昔話法廷」では、ヘンゼルとグレーテルが魔女を殺してお宝を奪ったことが、単なる窃盗か、強盗殺人かで争われています。窃盗は間違いないようです。魔女殺しが、じつは森で迷った二人を保護した魔女の財産を狙った「強盗殺人」(刑法第240条)とみるか、魔女のヘンゼルを食べる計画に対する「正当防衛」とみるかです。

 証人は、ヘンゼルが帰り道のしるしに落としていったパンくずを食べてしまった鳥です。被告人質問にヘンゼルとグレーテルもたちます。判決はなく、皆さんならどう考えますか?と終ります。(繰り返しますが、児童虐待の問題はとりあえず扱っていません。)

 放送は下のURLでホームページから再生できます。お話と争点は次の通りです。「三匹のこぶた」(正当防衛)、「カチカチ山」(執行猶予)、「白雪姫」(全面否定)、「アリとキリギリス」(保護責任者遺棄致死罪)、「舌切りすずめ」(殺人未遂)、「浦島太郎」(執行猶予)、「ヘンゼルとグレーテル」(強盗殺人)、「さるかに合戦」(死刑)、「ブレーメンの音楽隊」(強盗致傷と執行猶予)「赤ずきん」(心神喪失)、「桃太郎」(強盗殺人)の計11話です。おぉ~この話をこの視点でみるか、と感心します。

 再生は15分ほどですが、「さるかに合戦」は解説付きがあり、NHKの解説委員がアナウンサーをあいてに争点や量刑について解説しており、死刑と無期懲役、処罰感情、猿の生い立ちと事件の動機、などが話され少し長いです。いずれも第一線の俳優さんで演じられています。「桃太郎」は圧巻です。法廷問題ではなく、SNSでの中傷や外国人排斥のような現代の社会問題を取り上げています。ぜひ一度ご覧あれ、です。(小林)

昔話法廷 | NHK for School

高齢者の運転

 2019年に池袋で起きた、旧通産省工業技術院元院長であった高齢者による自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の東京地裁での裁判が終わりました。禁固5年の実刑判決でした。事故発生直後より、たいへんマスコミを騒がせた事件でした。これからまた控訴するかどうかでマスコミの話題になるかと思います。

 マスコミかネットかはよくわかりませんが、この高齢者が勾留されなかったことで「上級国民だから逮捕されない」とまことしやかに流されていました。大学のゲスト講師で司法福祉についてお話をしたときも、学生からなぜ逮捕されないのかと質問がありました。「この人は高齢で逃亡、罪証の隠滅の恐れがないので勾留されないのです、こういう場合を在宅事件といいます」とお話をしました。

 この事件に前後して高齢者の運転免許についての電話相談をたくさん受けました。運転をされるこうれいしゃのおられるご家族からです。だいたい娘さんかお嫁さんからでした。運転の問題は大変難しく、車はとっても便利なものですし、運転が出来ていたことができなくなることは大変つらい事です。それも、実際は出来るのに、意思でしないのですから、自分を律する必要があります。都市でしたら交通網が発展していますし、駐車場代も高いので手放すことを考えることができるかもしれないですが、地方に行くと難しいことだと思います。ご相談をよせる皆さんは、本当にひやひやして、どうしようかと悩んでおられました。

 相談を受けるために警視庁に尋ねたところ、以下のお答えをいただきました。(8項目あり少し長いです。)   ①運転免許は高齢者であっても、本人の権利なので、返納はあくまでも本人の意思によるもの、②周囲の人々から、警察や更新センターに、こっそりと更新できないように相談することは出来ない、➂70歳以上の方は、更新する場合は、必ず「高齢者講習」等を受けないと更新できない、④75歳からは、さらに講習を受けるための予備検査(認知機能検査)等を受ける必要がある、⑤高齢者講習には適正診断、夜間視力、胴体視力検査等と実車運転がある、⑥75歳以上は年々ハードルを幾重にもして厳しくしている、⑦講習は更新を妨げるものではないが、検査と講習で引っかかると、つまり認知症と判断されると免許取り消し又は免許停止となる、⑧各警察署の交通課に相談窓口があり、ご家族と一緒に相談に来てください。

 返事を聞き、まず、「権利かぁ」と思いました。何事も線引きはできないです。高齢だからできなくする、権利を取り上げるというのは、成年後見制度ではないですが、大変難しい問題だと改めて気づきました。

 ちょくちょく出てくる私の両親の話です。実家は商売をしていましたので、両親ともに運転をしていました。しかし、父親は70代後半で大きな交通事故を起こし、ケガは後遺症もなく退院をしましたが、それ以降、亡くなるまで10年近く運転をしませんでした。この事故で、仕事を辞めましたが、普段にも運転をしなかったです。それまではほぼ毎日仕事で車を使っていましたので、父親を乗せると、道が違うとかあっちに行けとか、大変うるさい指示が後部座席から飛んできていました。

 母親も毎日のように運転をしていましたが、こちらも、膝の手術をしてから運転をしなくなりました。70代後半でした。母親が手術をするときに、私は障害者手帳の事や、手帳があると車に関しても特典があるようなことを話した覚えがあります。しかし、母親は運転を辞めました。娘の福祉の知識の振りかざしを聞き流してくれました。今から思えば、二人とも運転に固執すること無く辞めてくれてほんとうによかったと思っています。(小林)

 

巨星墜つー田島良昭氏への追悼

ハンマー:02(2021.08.08)

 8月2日、社会福祉法人南高愛隣会の創設者である田島良昭氏の訃報を、この法人で働く次男の電話で知る。ちょうど2か月前の6月3日、氏より八王子市の施設への支援要請の電話があり、大腸がんで入退院を繰り返ししているとのことで、口調に元気が無いことが気になっていたが、まさかこんなに早い別れになるとは思いもしなかった。衝撃を受け、文字通り通り絶句した。翌朝に葬儀が行われ、午後に医療機関に献体されるとのことであった。

 氏の障害者支援活動の功績は、筆舌に尽くし難い。基本理念に障害者の人権を高く掲げ、障害者が地域で暮らす意味を提起し、自ら設立した入所施設を解体し、地域での支援体制を築き上げた。上から目線で障害者に同情を寄せる人や、観念的に人権を論じる人はあまたいるが、自らのそれまでの権威的な実践を否定し、血を流す程の苦難の道へハンドルを切った人はほとんどいない。まさに、思想と行動が一体になり、ぶれることなく貫いた人と言える。

 彼との出会いは、一幅のドラマであった。知的障害の問題に関わり始めた時、当時の全日本育成会の仲野好雄理事長から、「雲仙コロニーを見学するべき」と勧められた。高齢な氏の勧めである。当然、田島氏も高齢と勝手に判断し、丁寧に聞き流していた。ところが、当時の障害福祉課長の浅野史郎氏が、「障害者人権懇談会(人権懇)」を立ち上げ、一癖のある活動家を呼び集め私も声を掛けられたが、そこで初めて田島氏と顔を合わせることになる。 

 氏は長崎県(島原市)、私は佐賀県(唐津市)という、同じ九州の生まれである。人権懇では、率直に熱っぽく語り合った。そして、氏の実践に障害のある長男を利用者として、次男を職員として託したのである。まさに、我が家は氏が作り上げた土台の上に成り立っている。私が長男の現実に何ら悩むことなく、将来に何ら不安をもつことなく、呑気にエラソーに喋りまくることができるのも、氏の有形・無形の支援によるものである。

 その後も、氏からは様々な助言や人や機関の紹介を頂いた。しかし、一度として恩着せがましい言動や、高い地平からの視線はない。それどころか、事実以上の高い評価をいただき、種々の好機の場を与えられた。今になっては遅くなったが、心から感謝の念を申し上げたい。

これまで私は、多くの人のご支援を得て何とか今日までやってこられたが、田島良昭氏のご指導とご支援は別格である。両手を挙げ、地に伏して、衷心から御礼を申し上げたい。(松友)

全員悪人

 私事ですが、86歳になる母親はグループホームに今年からはいっています。4年前に父親が亡くなりました。父親は小さな脳梗塞がたびたびおきたようで、だんだん弱っていきました。父親が弱り始めて、母親とごちゃごちゃするようになり、地域包括支援センター、ケアマネージャー、ヘルパーさんや訪問看護、デイサービスや配食サービス。昨日までできていたことができなくなることの、高齢者問題に当事者として(対応のメインは近くに住んでいる弟ですが)対応することになりました。

 すでにいろいろなところで取り上げられていますが、CCCメディアハウスから出版された、村井理子著「全員悪人」を読み、とても身につまされました。認知症の高齢女性の一人称語りの物語です。自信をもって生きてきただろう女性が認知症の発症と共にいろいろと混乱していき、出来ていたことができなくなり、それどころかいろいろとやらかしてしまいます。それによって家族が混乱し、その女性は憤りを持ちながら、あふれた自信から底知れない不安へ進んでいきます。ただ、この物語には力強い、悲観的でないお嫁さんがコーディネーター的に存在し、その言動に救われます。

 私事に戻ります。自分が親元から独立し子育てが終わり、次は親の老後対応で、その次は自分の老後です。父親が亡くなる数年前より、いろいろと心の拠り所になっていた親が頼りないというより、拠り所でなくなってきたことに気付いて、少し寂しくなりました。今は娘のよりどころ(?)と思いますが、今に自分も親のように弱っていくのだろうと想像しています。「全員悪人」を、ほんとうに自分事として読みました。

 犯罪の問題にかかわる仕事をしていますと、ご相談の方とご家族の人生にかかわることになります。高齢の万引きの方のご家族のご相談では、徘徊先で事件を起こされ、今後についての話で「24時間私が看ます」という奥さんがおられました。迫ってないけど迫られた感があったのでしょう。それは無理なので、皆で対応を考えました。情報提供と踏ん切りをつけるための背中押しを誰かがしなくてはならないです(踏み出すのはご自身ですが)。ご家族は混乱と憤りと不安でいっぱいでしょうが、ご相談の当事者さんも同じ状態です。支援者としてのかかわり方を確認する1冊でした。(小林)

ゲスト講師の授業

 数年前より、福祉系大学の外部講師を依頼されることがあります。司法福祉について、専門の授業ではなくお話しします。自分の年齢はあまり意識することがないというか、あえて意識しないようにしているところがあります。しかし、ここ数年で、学生さんに伝わる話が少なくなってきて、意識せざる負えなくなっています。

 平成15年に山本譲司さんの「獄窓記」が出され、刑務所の中に知的障害のある人たちが存在することが明らかになって以降、罪を犯した障害者支援は進んできています。加えて高齢者の犯罪とされる問題もいっしょに進んでいます。長崎の社会福祉法人南高愛隣会が次々と研究事業をおこない、平成21年には地域生活定着支援センターが制度化され、刑務所や更生保護施設に福祉専門職が配置されていきました。平成28年には再犯防止推進法ができ、本年、令和3年度には厚生労働省において入口支援(被疑者等支援業務)が始まっています。

 このような流れや刑事司法のいろいろ、高齢者や障害のある人の犯罪の事例などを、ゲスト講師として学生さんにお話をします。平成15年からの歴史(?)の話や制度の変遷についてはやはり眠たかろうと、つかみをいくつか用意しています。テレビや映画の話が多いです。2時間ドラマからもってくることが多いのですが、検事は現場で捜査をしないとか、弁護士さんの様子とかです。一時はHeroや京都地検の女でしたが、若い人はテレビを見ることが少なくなっているそうで、番組の説明からしなくてはならなかったり、それよりも今年はHeroのキムタク=木村拓哉さんを知らない学生さんがいて、木村さんの娘さんの名前を言おうとして名前が出てこなかったり、つかみが全くつかめていない状態です。

 また、昨年からはオンライン授業で、学生さんは顔出しをしないことが多く、まぁ、あじけないこと。教室で反応を見ながら話しのふくらましもできません。その場での質問もなく「暖簾にうでおし、糠に釘」。ところがリアクションペーパーを後日いただくとたくさん書いてくださる。常日頃の大学の先生のご努力に頭が下がる思いです。「ご苦労様です」

 来年のゲスト授業、つかみのためのネタを仕入れなくてはとおもいます。コロナ禍もおさまり対面になれば、また学生さんの反応も見える、けど、若者との年齢差はまた1年くわわるので、ネタ~、と焦る今日この頃です。

(小林)