若手保護司オンラインフォーラム

 更生保護の分野では新しい取り組みが次々おきているようです。「更生保護」誌2022年2月号に、各地方における若手保護司オンラインフォーラム開催の記事がありました。保護司は明治からの長い歴史があります。定年があって75歳までとなっています。都道府県区市町村に保護司会があり、地域で組織される形になっています。

 どうしても一定以上の年齢の方が多くて定年の人は増える現象、つまり保護司の数の減少と高年齢化に、保護局も苦慮しています。そんな中、すでに保護司で、おおむね45歳未満・保護司経験4年以上の方々で、保護司活動や制度の在り方について意見交換をしたそうです。昨年はYoutubeにも、若い関係者と局長の対話がアップされました。

 私が所属するのは江戸川区保護司会です。江戸川区保護司会にも若い方がおられます。彼は昔、やんちゃだったそうで、少年院の経験をもとに、非行少年の親の会「あめあがりの会」の理事もされていますし、保護司もご自分から保護観察所に立候補をして就任したそうです。さらに、江戸川区保護司会の機関誌でご自分の経験をカミングアウトされました。東京社会福祉士会・司法福祉委員会の勉強会でもお話しいただきました。率直にご自分の過去と思いをお話しくださいました。その昔「あめあがりの会」=非行少年の親の会を知った時にびっくりしましたが、自分のやんちゃだった過去をカミングアウトして保護司になるのにも感銘を受けました。(非行・犯罪関係の当事者のあつまりにはセカンドチャンスとマザーハウスが積極的に活動をしています。)当事者活動が増えてきたということでしょう。

 若手保護司オンラインフォーラムは、全国8ブロック、93人の若手保護司が参加しての開催だったそうです。結構な数の方がいらっしゃるのですね。参加者からの意見は、①活動をする上での負担や不安を軽減するための方策、②活動する環境を確保、または改善するための方策、➂社会的認知度を向上させるための方策、④幅広い世代・分野から多様な人材を確保するための方策に分けてまとめられていますが、いずれもそのとおりと思う内容でした。内容をお知りになりたい方は早稲田すぱいくにご連絡ください。アドレスはoffice@waseda-spike.jpです。

 社会福祉士や心理士など専門職も保護司を受任していますが、いままでの古い体質の保護司会ではなかなか言えなかったことが挙げられていてうれしかったです。今まで、保護司会に行くと古い時代の嫁のような感じ(?)がしていましたが、なんだか、新しい時代が来るような期待感いっぱいです。こうして時代が変わっていくのでしょう。保護局の積極的な活動にも敬意を表したいと思います。もう「前例がないから」ということばを聞かないで活動ができることを願います。

実は身近なこと

 新型コロナウイルス感染問題がすでに3年目になりました。2020年の1月頃から日本でも広まり始め、世界中で大変な状況になりました。東京社会福祉士会司法福祉委員会でも、毎年年度末(2月から3月)に行う「司法福祉公開講座」を中止せざるを得ませんでした。会場の早稲田大学が閉鎖となったためです。そのころはまだ、こんなに大変なことになるとは考えてもいませんでした。卒業式や入学式ができるできないと言っているうちに緊急事態宣言になり、世の中がかわりました。

 会議も集まって行っていましたが、一変して、Zoomなどのオンラインでの集まりに移ってきました。司法福祉委員会も約半年間、委員会をお休みして、後半はZoomでの開催になりました。そのほかの研修も同様です。半年前には見たことも聞いたこともなかったZoom、今は自分でミーティングをスケジュールして開催しています。夜遅くまで外にいることもなく、自宅で会議ができて、終了したら本当に終了です。時には会議と研修と同時に参加したりして・・・なんと便利なと感心します。ただ、実態がなく、生感がないので、関係が希薄になる感じがします。終了後や会議の間のお話や、参加者のロビー会話、名刺交換がなく、さっぱりしたもので、不安になります。旅行や余暇活動も希薄になり、気が抜けない感じがします。

 そんなこんなでしたが、2年目の昨年はワクチン接種も進み、昨年末には感染者数も減り、このまま終息になるのではないかという感がありましたが、新種が出てきて、すごい勢いで感染者数が増えています。昨年とは倍以上の増え方です。昨年までは、ワクチン接種みしましたし、マスク、うがい、手洗いもしていましたが、家族にも、職場にも感染者はほとんどいませんでした。が、新種では身近かで感染者、濃厚接触者が発生しています。いまさらですが、とても近くに感じています。新型コロナ感染問題はテレビのニュースだけでなく身近なことだったのです。

 司法福祉の仕事をしていると、DVや依存、精神疾患からの事件など家庭内でおきた事件に多く接します。生活歴や家族歴、日頃のご様子などを聞いていますと、毎日のように繰り返されて、事件になってきているようです。虐待事件でも思いますが、今もどこかのご家庭で、緊張の走るやり取りが展開されて、誰かが怒り、誰かが泣いているのかもしれないのです。

 かつて、日本てんかん協会の事務局で仕事をしていた時、「今、てんかん発作で苦しんでいる人のことを考えろ」と言われたことがあります。てんかんでも赤ちゃんの点頭てんかんは、シリーズで発作をおこし、それも日に何回とくりかえします。そのことを考えると 「今、てんかん発作で苦しんでいる人のことを考えろ」 ですが、なんとご無体なと少し思っていました。

 身近にいないとそんな問題があるとは気が付きませんが、実は身近にいろんなことがおきているのですね。専門職でありながら、こんな当たり前のことに今更気付くとは、まったくお恥ずかしいことです。

 

保護司を扱ったドラマ

 ここしばらく保護司を扱ったドラマがつづいています。NHKBSの「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」、wowowの「前科者ー新米保護司・阿川佳代ー」、映画「前科者」(2022年1月28日全国ロードショー)です。2時間ドラマで、ときおり保護司が主人公になるストーリーはありましたが、こんなに見ごたえのあるドラマとして取り上げられるのは珍しいのではないでしょうか。

 wowowに加入していないので「前科者 ー新米保護司・阿川佳代ー」 は観ることができないのですが、 NHKBSの「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」 は、8回すべて観ました。深谷善輔さんは元高校教師。同じ教師だった先輩保護司から推薦されて保護司になったという設定です。ドラマ全体の中心対象者はひきこもりの息子さんを殺したおかあさん。他に殺人、万引き累犯の方々が対象者として出てきます。いかにも再犯しちゃいそうな場面だったり、マスコミが記事にするために動いたり、観ていてなかなかつらいドラマでした。

 ネットに 深谷善輔さん 役の舘ひろしさんのインタビュー記事がありました。いろいろと書いてありましたが、一番気になったのが『今回は「とにかくかっこよくならないように」ということも意識した。』という一文で、保護司はかっこよかったらいけないのかと思いました。「西部警察」の石原軍団と比べたらそうかもしれませんが・・・。

 もう一つの 「前科者ー新米保護司・阿川佳代ー」 は観ていないのですが、コミックが出ていて、親切に事務所に5巻までおいていってくださった方がいるので、あるだけ読みました。こちらの設定が少し不思議ではあるのですが、ドラマや映画はけっこうおもしろいのではないかとおもいます。 

 いずれのドラマにもお決まりの、大きな事件があり対象者が再犯を疑われて逃げてしまうのですが、今回のドラマたちでもお約束のように出てきます。ただ、「前科者」のコミックでは薬物事件の人が葛藤するところはありますが、再犯を疑われて逃げるといった場面はなく、人間関係が面白いです。少年事件にならないよう未然に関係するという場面もあり、「家裁の人」を思い出しました。「家栽の人」は家庭裁判所の判事が主人公のコミック・ドラマです。そういえば、家裁調査官が主人公のドラマ「少年たち」もシリーズで続けられたドラマでした。

 ともかく、今回の保護司を扱ったドラマでは、更生、生きなおしといった言葉が再三出てきます。私自身も保護司ですが、なんとも面はゆい。そんなに力が入ったら、長くやれないだろうな、とも思った次第です。ついでに、保護観察官は特徴の無い良い人な感じになっています。「前科者」では北村有起哉さんがオーラを消したさっぱりとした顔つきになっているのがなんとも楽しいです。

東京スカイツリー

 私、小林は東京メトロ東西線を利用しています。冬の太平洋側は空気が澄んで、遠くまでよく見えます。日本海側は大雪でたいへんですが、申し訳ないくらいに富士山も、東京スカイツリーもよく見えます。ということで、西船橋方面から都心に向かって東西線に乗っていると、荒川・中川を渡る鉄橋に差し掛かると東京スカイツリーが見えます。今朝もよく見えました。

 東京スカイツリーは墨田区押上にあります。更生保護施設の実華道場・ステップ押上も押上駅のそばにあります。ずいぶん前、まだ東京スカイツリーが建築途中のころ、ステップ押上げを訪問させていただきました。施設の中や利用者の皆さんのご様子などをご説明いただき、館内を見学させていただきました。食堂や浴室、洗濯場等々と可能な皆さんの居室もです。

 ステップ押上はたしか5階建てのビルで、屋上に上がると展望がすてきでした。その屋上から建設中の東京スカイツリーが見えました。建設中の工事現場なのですが、私が「近くに大きな工事現場があって、ここの利用者の人も雇用してもらえますね」といいますと、案内してくださっていた森山施設長が「あそこは優秀な作業員の人しか働けず、ここの利用者は無理ですね」とのお返事でした。

 実は、我が夫は建築関係の仕事で、レインボーブリッジや瀬戸大橋といった大きな建造物建設の関係者でした。さっそくその話をすると、さも当然のように、あのような巨大な現場は、鳶さんのエリートさんが採用されるということを教えてくれました。まさに、NHKのプロジェクトXに出てくるような歴史的な巨大構造物は同じで、吊り橋の作業について(夫は吊り橋の専門家)説明を受けました。

 司法福祉の対象者が持っている資格に「玉掛け」がよく出てきますが、その玉掛けひとつとっても違うことを教えられました。万が一の時には大惨事になるので、優秀な鳶さんやオペレーターが必要になるそうです。高いビルの建築ですと、クレーンを操作する人は下の様子が見えず、玉掛けの職人さんのコントロールで機材を上げ下げします。阿吽のやり取りが交わされるそうです。その視点で工事の現場を見ると納得です。(テレビでやってますよね、また、マンションの大規模修繕で直に見ることもできます)更生保護施設の利用者でも、優秀な鳶さんはおいでになるかもしれませんが、たぶん東京スカイツリーの仕事をゲットできるチャンスは少なかったかもしれません。大手の建設会社が受注しての工事だったからです。

長崎刑務所の新しい取り組み

 長崎新聞には障害や高齢などの福祉的支援の必要な受刑者のことや、その問題に関連する記事がたびたび掲載されます。昨年7月には、長崎新聞主催で林検事総長と荒日弁連会長、村木元厚生労働省事務次官を招き、南高愛隣会顧問だった故田島良昭氏との4人のシンポジウムを開催しました。やはり、南高愛隣会が地元にあり、障害や高齢などの福祉的支援の必要な受刑者等についての問題意識が高いのでしょうか。

 その長崎新聞の2021年12月25日号に「知的障害受刑者再犯防止 出所見据えモデル事業 長崎刑務所で50人規模 来年度から5ヵ年計画」という記事がありました。法務省は長崎刑務所に九州・沖縄の刑務所から知的障害(疑い含む)のある受刑者を50人規模で集め、出所後の福祉的支援も見据えた一貫型の処遇をするモデル事業を2022年度に始める方針を明らかにした、というものです。

 以下、長崎新聞の記事を原文のまま掲載します。

  知的障害のある受刑者を巡っては、罪を繰り返す「累犯障害者」の問題が指摘されており、モデル事業は再犯を防ぐ狙い。同刑務所は「軌道に乗せ、一つの支援モデルとなる枠組みをつくるため、職員一丸となって取り組みたい」としている。
 同省矯正局によると、モデル事業は22年度から5カ年を計画。効果を検証し全国展開のあり方を検討していく考え。政府が同日、閣議決定した同年度予算案に関連予算約2千万円を盛り込んだ。
 専門的な知見やノウハウを持つ福祉事業者や自治体と連携し、特性に応じた処遇計画を立て、所内で生活安定に向けた教育・指導や社会復帰を支援。療育手帳の取得を促進し、出所時に「息の長い寄り添い型の福祉サービス」(同局)につなげる体制を構築する。22年4月以降に事業者の選定を進め、同年中の事業の本格実施を目指す。
 同局が20年度に実施した特別調査では、全国の受刑者約4万人のうち知的障害(疑い含む)のある受刑者は1345人。このうち療育手帳を取得しているのは414人だった。
 長崎刑務所は19年4月、高齢や知的障害のある受刑者の特性に応じた処遇を実践し、社会復帰を支援する部門を新設。認知症傾向の高齢受刑者を九州内の刑務所から集めて処遇する取り組みを既に始めており、22年度は35人規模を予定する。知的障害受刑者の再犯防止 出所後見据え、モデル事業 長崎刑務所で50人規模 来年度から5カ年計画 | 長崎新聞 (nordot.app)

 長崎刑務所は、2019年度より高齢受刑者の増加を受け専門部署「社会復帰支援部門」を全国発で立ち上げ、九州の刑務所より対象者の移送を受けているそうで、認知症傾向の高齢受刑者に独自の処遇プログラムを施し、再犯防止を模索しているとのことです。社会復帰支援部門の重視がすすみ、以前は公平性の観点から「集団処遇」として同じ処遇がルールだったのですが、一律に同じ懲役作業をさせても能力等でできないことがあり、個々の特性に応じた「個別処遇」を行うことに意味があるとなったそうです。この取り組みに関しても、長崎新聞で「刑のゆくえ」という連載記事があり、第1部は「老いと懲役」として8回シリーズで取り上げられています。刑のゆくえ | 長崎新聞 (nordot.app)

 法務省矯正局成人矯正課には「社会復帰支援指導プログラム」というものがあります。2017年より全国で取り組まれていますが、その前より、刑務所ごとにユニークな取り組みがなされており、東京社会福祉士会では府中刑務所の取り組みを見学させていただいていました。全国向けに作った「社会復帰支援指導プログラム」はいくつかの刑務所が始めたこともあり、バラバラではなく標準プログラムを作り、全国でとりくみましょうということでした。しかし各刑務所の方が独自の手法を取り入れ、標準プログラムをこえているようです。

 このように長崎刑務所だけでなく、各刑務所で必要に応じて、今までのような一辺倒ではない取り組みが行われています。ちなみに刑法も変わるようで、懲役と禁錮を一本化して「拘禁刑」とする方向だそうです。1907年の刑法制定以来はじめてだそうです。このニュースは、全国紙でも取り上げられていました。

知的障害のあるひとの犯罪におもう

 先日、軽度といっても中度に近い知的障害のかたの判決がありました。その人は少し大きな傷害事件を起こしました。以前も傷害事件で実刑になっていましたので、今回は少々長い実刑が言い渡されました。裁判中、障害であることで支援を受けることは拒否をされていました。本人の供述が変わり、事件直後に自分からやったと言ったにもかかわらず、やらなかったとかえてしまい、弁護士は大変苦慮されたようです。

 この方は前刑の時にご家族からご相談を受けていました。熱心なご家族で、障害基礎年金のことや、出所する際に特別調整を希望すると地域定着支援センターにつながることができるなどの情報提供をしました。その時の事件は家族に対する傷害でしたので、ご家族は恐れて身元引受はできず、施設で懲罰があったのか、満期出所でした。それでも、年金はある程度たまっていましたし、ご家族が借りたアパートに入るということで、こちらへの相談はなくなりました。障害の程度は、支援なく一人で社会で生きるには重いのですが、本人も家族も障害を受け入れることは難しかったようです。粋がって職を探すのですが、うまくいかず、一人ぼっちの生活の中で他者と諍いが起きるようになり、今回の事件となったようです。

 社会福祉士を長くやっていると、何度も何度もお会いする方、ご家族がいます。ある人は小学校で出会い、中学校の時に調整をいろいろと行いました。その後、保護観察所で再会し、成年になって大人の事件でまたまた再会ました。この間、10年弱。彼が調整されて関係した専門機関は10くらいありますが、行った先で問題が起きると自宅に戻ります。「問題が起こりました」か「出所します」か、なにかそこにいることができなくなって、「迎えに来てください」となります。家族は受け入れ続けます。

 単なる無能なコーディネーターの愚痴なのですが、あの時、どうしたらよかったのだろうと考えてしまいます。

 Sさんは中度の知的障害の方で、数十年ホームレスをしていました。前科はないのですが、前歴がたくさんありました。たびたび、社会につなぐ支援をしました。いくつかの法人のサポートをうけ、最後、郊外の救護施設に行くことができました。救護施設の新しい生活は放浪することはありませんでしたが、ちょっと盗っちゃうことがありましたが大したことにならず、法人がフォローしてくださいました。そのたびに法人から連絡が入り、お団子やケーキを持って訪ねていき、もめごとにはふれず最近の調子をきいて帰ってきました。その法人は「こんなことがありました」というだけです。当初は昔の知り合いの名前が出ていましたが、それもなくなっていき、もう2年ほど施設から連絡が来ません。すっかり定着してくださったようです。時にはこのようなケースもあり、「Sさん、ありがとう」と思ってしまいます。(小林)

 

 

南高愛隣会 故 田島良昭さんの思い出

 今月7日に、南高愛隣会の故 田島良昭元理事長の偲ぶ会が、長崎県島原市でありました。偲ぶ会には、最高検の林検事総長や若草プロジェクトの村木厚子さん等々、800人を超える方々が参加されました。この様子は南高愛隣会のホームページやテレビ長崎、遠く北海道新聞、新潟日報などに掲載されています。

「故 田島 良昭顧問を偲ぶ会」参列のお礼 | 社会福祉法人 南高愛隣会 (airinkai.or.jp) 司法と福祉の架け橋として 南高愛隣会 田島 さんを偲ぶ会|ニュース|KTNテレビ長崎

 私は障害児教育(知的障害)を学んだことがきっかけで、小児てんかんの子どもを持つ親の会(現:日本てんかん協会)に関係しました。そこで、当時親の会の事務局長だった松友了さんと知り合い、親の会ーてんかん協会の活動にどっぷりはまっていきました。その松友さんのてんかんのある息子の岳さんが成長して入所したのが南高愛隣会でした。本コラムで松友さんが、8月9日付け「巨星墜つ」で、田島さんと松友さんの関係と思い出、追討を書いてくださっています。

 松友 岳さん(現在50歳)の保育園のお迎えのボランティアでもあった私は、松友 了さんと45年くらいのお付き合いをしています。小児てんかんの子どもを持つ親の会、日本てんかん協会、全日本手をつなぐ育成会と松友さんがお仕事をされるところで、全面的だったり一翼だったり関係してきました。田島さんが厚生労働科学研究で「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究」を行われ、その実践として「地域生活定着支援センター」を作る前に、「罪を犯した障害者の地域移行支援に係る職員の養成研修プログラムの開発に関する研究」を、厚生労働省「障害者保健福祉推進事業」で行うこととなりました。(2007年・2008年)そのために南高愛隣会・東京事業本部を松友さんが担うこととなり、私もその事務局員としてお手伝いをすることになりました。2006年12月に田島さんが東京の定宿にされていた新橋の第1ホテルアネックスのロビーで、松友さんに連れられて初めてお会いしました。

 それから基本の研修を企画したり、実際、日本各地で研修会を行ったりで、その当時理事長であった田島良昭さんとたびたびご一緒しました。そこで、なぜ田島さんが障害者問題をはじめたか、議員秘書としてアメリカに行かれたこと、米沢藩のながれをくむおばあさまに育てられたこと、・・・たぶん多くの方も聞かれたであろうお話を私も伺いました。この2年間はほんとうにあちらこちらに出張をし、いろんなお話を伺いました。地域生活定着支援センターつくりの布石で、今は亡き副島洋明弁護士ともご一緒しました。北九州の奥田さん、ダルクの近藤さん、龍谷大学の浜井先生等々、この時の報告書を見ていますと、現在の活動の基本となった関係者の皆様のお名前が次々と出てきます。それまで「てんかん協会」だった私も、今は保護司ですし、「東京地検」の社会福祉アドバイザーですし、東京社会福祉士会 司法福祉委員会委員長、とすっかり「司法福祉」です。

 田島さんの思い出は先にも書きましたとおりたくさんありますが、なんといっても、荷物を持って下さったことです。移動の際に研修のための材料をいれたキャリーバックでもたもとしていますと、キャリーバックを持って下さり大変恐縮した経験がすくなからずあります。これはうれしかったです。また、社会福祉士会と弁護士会で協働で行っている入口支援の取り組みについて、現状を飲み会の席で訴えたのですが、長時間よく聞いてくださったのです。昨日のことのように思い出されます。笑った時のお顔とともにおもいだされます。(小さなことですみません)

 こんなに早く逝かれるとは思ってもいませんでした。ご相談したいことがまだまだありました。そして、私が「司法福祉」の現場にいられるのは田島さんのおかげと思っています。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。  小林

BPSモデル

 昨今、BPSモデルという言葉をたびたび聞きます。BとはBio-生物、PとはPsycho-心理、SとはSocial-社会です。しかし、これは決して、すっごく新しいことではなく、1977年に精神科医のジョージ・エンゲルが、生物医学モデルになり代わる新しい医学観*として発表されたもののようです。

*(The Need for a New Medical Model: A Challenge for Biomedicine, Science,New Series, Vol. 196, No. 4286 (Apr. 8, 1977), 129-136.)

 山口県立大学の水藤昌彦先生が、国立重度知的障害者総合施設のぞみの園の「理論と実践で学ぶ知的障害のある犯罪行為者への支援」*(2017年5月発行 P10-14)のなかで、生物・心理・社会(BPS)モデルによるアセスメントをたいへんわかりやくす解説くださっています。

 このBPSモデルは先にも書きました通り精神医学から出てきていますので、発達障害のある人のトラウマ(含む複雑性PTSD)の研修会他でもよく出てきますし、東京北医療センターのホームページでもロールキャベツをバックに解説が掲載されています。(話が他へ逸れますが、「ロールキャベツ系ワクワク総診」(見た目は草食系で中身は肉食系)についてホームページでおいしそうな写真とともに語られています。ロールキャベツ系ワクワク総診とは 東京北総診 東京北医療センター総合診療科 (tokyokita-resident.jp) あの北療が、と感慨深く覗きました。)

 今回、このBPSモデルについて書こうと考えたのは、カンファレンスの必要性について雑談的に話す機会があったからです。ある特定の人のカンファレンスを開いてどうなるのかを説明していました。水藤先生のご説明をもとに語っていた時、おぉと気づきました。

 犯罪お悩みのご相談を受けていると、罪を犯した障害のある人の地域生活支援について、特効薬のような回答を求められることがあります。しかし、そのような特効薬はありません。その人をつまみ出す方法を求められることもあります。それではかつての福祉施設化した刑務所や社会的入院が横行していた精神医療に戻ってしまいます。特効薬ではなく、その対象となる人の、その事件に至るB「生物的要因」、P「心理的要因」、S「社会的要因」を確認し、アセスメントを行い、現状で関係する人々に集まっていただき、ご本人の求める、納得される支援体制を組んでいくことが必要-有効のようです。(納得されないと再発しますから) 

 多職種連携といいますが、その人をめぐる多職種や関係者が状況を持ち寄り、支援の在り方を作るのが良いようです。特に地域生活では必須なのだとおもいます。行政や支援センターだけでなく、民生委員、町内会、コンビニやスーパーの人、時には牧師さん、お寺さんもいるかもしれません。その人を排除するのではなく、その人がこの地域にいるためにはどうしたらよいかを、観念的にではなく、BPSのエビデンスを持って展開していく、そして全体を調整、コーディネートしていく、その中心がソーシャルワーカーなのでしょう。そしてこの考え方が、CBRなのだと思います。(CBR=Community based Rehabilitation このお話はまた今度)

 障害のある子・人や認知症の方の問題にかかわっていて、以前は「困った人は困っている人」というキャッチフレーズでの取り組み・考え方が紹介されていました。少しまえからは「多職種連携」がいわれていますが、具体的になぜ、どう多職種連携で、それで何がどう解決するのかが雲がかかったようでした。(少なくとも私は) 今回、すこし雲が薄くなった気がします。しかし、司法福祉のとりくみでコーディネートをする刑事司法ソーシャルワーカーの多くには権限がなく、どうにかボランティアではなく働けるように、うまい制度ができるようにしていかなくてはと思います。(小林)

ねほりんぱほりん

 先日、NHKの「昔話法廷」をご紹介しました。またまた、NHKの番組を紹介です。「昔話法廷」はホームページでいつでも視聴することができるのですが、今回ご紹介する「ねほりんぱほりん」はオンデマンドというのを利用しないと過去のものを見ることができないので、ご紹介しませんでした。ところが、今日(2021.10.8)から「シーズン6」が始まるそうなので、ご紹介します。

 この番組は司会進行の2人がモグラの人形で、ゲストは顔出しNGでブタの人形、ディレクターはカエルさんで進められます。ゲストにいろいろと話してもらうトーク番組なのですが、ゲストがすごいです。ビックリです。

 例えば、「わが子を虐待した人」「児童相談所職員」「元ヤミ金」「戸籍のない人」「LGBTカップル」「”LGBT”カップルの子ども」「養子」「元詐欺師」(エピソード – ねほりんぱほりん – NHK ねほりんぱほりん – Wikipedia)等々です。ホストクラブにはまっている人もありました。はんぱじゃない経験の人が出てきて、その世界を赤裸々に語ってくれます。それがブタさんなので、うまくオブラートに包まれます。声はご本人の声を変声機をつかっているので変わっています。この、ブタさんが上手で、人形なのに迫ってくるものがあります。

 進行のモグラの二人は率直な突っ込みをいれるので、さまざまな状況がわかります。このような表立てない問題を取り上げるのに、人形劇を使うとは・・・NHKやるなぁ、と思いました。各シーズン12回以上があり、60以上の、あまり表では話せない話題をとりあげています。中には「占い師」や「宝くじ1億円当選者」「羽生結弦で人生が変わった人」なんていうのもあります。しかし、犯罪に関係した人々も登場します。その赤裸々なおはなしが、感慨深いです。

 今日から始まる「シーズン6」は毎週金曜日午後10時より10時半、Eテレです。第1回目の今日は「女子刑務所にいた人 前編」で、来週10月15日(金)は「女子刑務所にいた人 後編」です。毎回、いろんな人がゲストでお話をしてくださいます。NHKのホームページでは今シーズンは、まだ2回分しか内容が案内されていませんが、私は期待しています。なお、私は決してNHKの関係者ではありません。日曜午後のフジテレビのドキュメンタリーも見ます。(小林)

ねほりんぱほりん – NHK

いまはむかしー父・ジャワ・幻のフィルム

 前回のコラムで「昔話法廷」というNHK番組を紹介しましたが、今回は「いまはむかし」というドキュメンタリー映画のご紹介です。監督の伊勢真一さんは、以前(1995年)、日本てんかん協会の親子キャンプの映画を作った時のスタッフの一人です。(私はてんかん協会のスタッフでした)伊勢さんの姪の奈緒ちゃんは小児てんかんで重い知的障害があります。奈緒ちゃんは今でも発作は止まっていませんが、元気に中年女性となっています。(私は高齢者の一歩手前!)その映画の製作は、伊勢さんのお父さんのお弟子や仲間が集まって作って下さいました。というのも、奈緒ちゃんの記録映画をつくっておられたので、そのながれで同じスタッフが受けて作ってくださいました。

 私は20年位前にインドネシア・ジャカルタに数年暮らした関係で、インドネシアは他人事と思えず、奈緒ちゃんのおじさんの伊勢さんの映画だしと思い見に行きました。伊勢さんのお父さんは戦時中に3年間、ジャワ(インドネシア)で国策映画を作っておられたそうです。私はジャカルタにいたころインドネシア語の先生からロームシャという言葉の嫌な思い出話しをきいたことがありましたが、ジャワをすっかり日本にしようとしていたようです。日本軍はトナリグミで地域の組織化を図り、軍事教練も行っていたようです。伊勢さんのお父さんが作ったフイルムに生々しく映っていました。敗戦のためそれらフイルムはみられることもなく、現在はオランダの資料館に保存されているそうです。(オランダには戦時中の日本の資料がたくさん保存されているようです。文官の東さんという方がインドネシアの刑務所設計をした本もあるようです。)

 伊勢さんのお父さんは終戦とともに日本に帰り、今度は「東京裁判」の記録映画を作ったそうです。映画ではいくつかの国策映画と伊勢真一さんがジャカルタの映画製作所跡地や現地高齢者を訪ね、戦時中の様子を聞いて歩く様子がまとめられています。「東京裁判」の一部分もでてきます。伊勢さんが3歳の時にお父さんは家を出られたそうです。特に語られてはいませんが、国策映画を作り、その後、国策映画を作らせた人々が裁かれる映画も作る。ご自分の立ち位置がわからなくなるということはあるかもしれません。伊勢さんのお父さんは、その後もドキュメンタリー映画をつくりつづけたそうで、いわゆる筆を絶ったわけではないようです。

 沖縄戦線の話や軍事教練の話や、火垂るの墓など、高齢者一歩手前の私でも、ものの本やテレビでしか知らない戦争です。それでもか、それだけにか、伊勢さんのお父さんの自己批判的なお気持ちをかってに推測してしまいます。

 古くから東南アジアには、日本人はとってもたくさん行っていたようです。なかでもインドネシアは、じゃがたらお春、サンダカン、蝶々夫人(ちょっと違いますが)、ジャワ更紗、じゃがいも(ジャカルタの芋)などなどとっても関係が深いようです。とくにゴムの会社で行っていたようで、1930年代にインドネシアで生まれたという方にたまにお会いします。福祉関係者にもたくさんおれらます。

20年前にジャカルタで、現地の福祉を支援する「ジャカルタ・ジャパン・ネットワーク」という団体を作りましたが、その団体のことが新聞に載ったことがきっかけで、インドネシアで生まれたという老婦人からご連絡をいただきました。その方に更生保護のお話をしていましたら、その方はなんと原胤明の姪御さんでした。原胤明は最後の与力といわれ、東京出獄人保護所を作った人でもあり、児童虐待の問題にも取り組んだ人です。まぁ、なんと世の中は狭い。いろんなことに手を出していると、つながっていきます。まぁ、原胤明はともかく、伊勢さんの映画はまだ見ることができます。機会があったらどうぞ、ご覧ください。(小林)

 いせフィルム 伊勢真一監督 公式サイト – いせフィルム 伊勢真一監督 公式サイト (isefilm.com)